監督未経験ながらも
新潟の監督に
抜擢。
水戸時代から
新潟のサッカーを
見本にしていたこともあり、
監督としての手腕は未知数ながら
「新潟史上最高」を旗印に
大きな期待が寄せられました。
しかし結果を残せず、
シーズン途中での解任となりました。
高度なサッカー理論は
一部の選手から
支持を得ていたものの、
結果が伴わず、
新潟スタイル(ボール保持)と
縦への速い攻撃の
併用に苦しみました。
序盤に勝ち星が伸びなかったのは
監督の責任なのかどうか、
クラブの判断には疑問も残ります。
ただ、全責任を負う立場の監督としては、
選手のミスによる敗戦も
監督の責任とされるため、
解任はやむなしという
意見が 多く見られました。
戦術とは別の部分で、
トップとしてチームを
まとめきれなかったというのも
解任のひとつの理由となりました。
それでも、
後任の入江監督が
1勝も挙げられなかったこともあり、
「樹森監督が最後まで指揮を執っていれば
最下位という最悪の結果には
ならなかったのではないか」
(この年でJ2降格)
という声が最後には
多く聞かれました。

