アルビ初のウルグアイ国籍の選手。
2020年、
6名いた外国籍選手の中で
ただひとり残ったこともあり
期待されました。
ボール奪取能力にすぐれ
出場すれば安定的な
プレーを披露するものの
アルベルトアルビでは
出場機会は限られました。
ベンチ外も多かった為
助っ人外国人としては
物足りないものとなりました。
オフではやさしさに
あふれたふるまいで
サポーターに愛されました。
Wikipediaでの紹介はこちら
投稿者: koko8888
アルベルト・プッチ・オルトネダ
本場スペイン、バルセロナで
長く育成に携わっていたと
いう触れ込みで、
新潟に
ボールを大切にする
新しいスタイルを植え付けました。
自陣からボールを繋ぐスタイルは、
魅力あるサッカーとして
注目を集めましたが、
J1昇格が至上命令であった
当時のアルビでは
結果を残すことは出来ませんでした。
それでも、2年目は
J2降格後最高順位を記録。
クラブも続投の要請を表明しましたが、
FC東京への移籍が決まりました。
ただ、2年連続で後半に
失速したこともあり、
評価は別れました。
バルセロナ仕込のサッカーを
標榜するものの
監督としては、
新潟が初挑戦となりました。
和を大事にする監督で
チームをひとまとめにすることに
長けた監督でした。
Wikipediaでの紹介はこちら
1999年 – 2004年
2003年は
マルクス、
ファビーニョ、
山口、安英学 等
そうそうたるメンバーの中、
目立つ存在ではありませんでしたが、
2003年J2優勝時の
間違いなく立役者。
アトランタオリンピックの出場経験もあり、
当時のアルビでは、
実績という面では
山口に続く存在。
熱い性格で、
チームを引っ張りました。
優勝を決めた最終節
大宮戦では、多くの選手が
気合の坊主頭で挑みましたが、
秋葉の存在なしでは
この伝説は生まれなかった
のではないでしょうか。
その後は、
日本サッカー協会でも
指導者として活躍しました。
Wikipediaでの紹介はこちら
アルビレジェンドプレイヤー
スペインから来た
屈強ディフェンダー。
スピードがないながらも
高い経験値で
アルビの守備に貢献。
一発で裏を狙うロングパスも
秀逸。
ディフェンダーながら
得点にからむパスを
何度も配給し、
さすが元スペイン1部でプレー
していたこともある
実力を見せてくれました。
アルビ在籍中は
すでにベテランの域に達して
いたこともあり
コロナ禍の過密日程の中
試合最終盤で
運度量が極端に落ちてしまうのは
アルビサポをやきもきさせました。
それでもアルビでは
ほぼ、全試合に出場。
アルベルト監督の厚い
信頼で
不動のセンターバックでした。
ピッチ外では
やさしさに溢れ
サポに愛され、
惜しまれながらの
退団となりました。
Wikipediaでの紹介はこちら
2019年、
7名も居た外国籍選手の中
2020年もアルビに残った
唯一の選手。
中盤からFWまでこなす
万能MF
ダイレクトプレーが
好きで
ダイレクトのパスや
シュートをよく見せてくれましたが、
精度は悪かったです。
前線でのチャンスを
不意にするシーンは
多く見られました。
特にダイレクトシュートは
ほぼ枠を捉えることは
できせんでした・・・。
それでも
前線での動き出しは
素晴らしく
試合を活性化させること
には力を発揮しました。
来日当初は
味方への要求も厳しく
ピッチで
怒りをあらわにする
場面も多くみられました。
それでも
アルビ在籍2年目
アルベルト体制の
もとでは、共同ながらキャプテンも
歴任。
まとめ役として
チームを引っ張ってくれました。
ただ、残念ながら
途中出場も多く、
ベンチを外れることも
しばしば
助っ人としては
物足りないものと
なりました。
SNS等では
新潟を愛し
ピッチ外では紳士な一面を
みせてくれました。
サポに愛され
惜しまれながらの
退団となりました。
2020年のアルビレックス

クラブ初となるスペイン人監督の
アルベルト・プッチ・オルトネダ監督を
バルセロナから迎え
是永社長の元
クラブの基礎となるスタイルを築き上げる
記念すべき1年目となりました。
これまでブラジル人を中心に
チームを編成していた
アルビでしたが、
ブラジル人のファビオ、シルビーニョをはじめ
スペイン人のペドロ・マンジー
アルゼンチン国籍のマウロ
ウルグアイ国籍のゴンサロ・ゴンザレスと
一気に多国籍化。
期待をもたせました。
チームは
監督が
「完成するまでに時間がかかる」
と話していた通り
前半戦はなかなか勝ちきれませんでした。
それでも
玉乃GMが呼び寄せた
夏の補強が大当たり
中島、福田、荻原、チョン・テセと
補強組がチームの中心となり、
一時は昇格が狙える位置まで
順位を上げました。
ところが、10月頃に
ファビオの酒気帯び運転が発覚。
その車に同乗していたということで、
ペドロ・マンジー、
2人が
シーズン途中で
契約解除となってしまいました。
特にここまで
エースフォワードとして
チームを牽引していた
ファビオの離脱は
響きました。
それに加えて、
コロナ禍で過密日程の中
新太、
福田、
新井、ら主力も
ケガで離脱。
特に福田が離脱してからは
下降の一途をたどりました。
終わってみれば
J1昇格どころか、
順位は昨年を下回る
11位。
それだけでなく、
ファビオの飲酒運転の
処理の不手際から
是永社長が辞任。
玉乃GM、吉永前監督も
チームを去り
是永社長が築き上げてきたものも
振り出しに戻りそうな
様相を呈してきました。
コロナ禍の影響で
何ヶ月もリーグが中断し、
プレーオフなし
降格チームもないという
特別な年となりました。
大宮からやってきた屈強MF。
不振にあえぐ”J2”2年目の
アルビを救うべく
シーズン途中から加入。
大宮では、出場機会を失っていた
ものの
鈴木政一監督からバトンタッチした
片渕アルビでは
大活躍。
2018年
後半戦、盛り返しの原動力と
なりました。
好調時は
素晴らしい働きを見せるものの
スタミナがないのは明らか。
試合後半にピッチを歩く姿は
よく見られました。
集中力を欠くプレーも
見られ、良い時と悪い時の差が
ある選手でもありました。
2020年も契約し、
高知キャンプにも
参加していましたが、
フランシスに続き
突然の契約解除となりました。
スピード抜群のブラジル人。
とにかく抜群のスピードで
相手DF陣を切り裂きました。
アルビではハットトリックも達成。
2020年も契約を更新して
期待されましたが、
激励会に出場したのみでの
電撃移籍となりました。
アルビを愛してくれ、
本人はアルビでのプレーを
希望していただけに
この突然の移籍は波紋を
呼びました。
ただ、鮮烈なデビューを
飾ったものの
相手にも対策され
後半戦は出場機会も減らし、
助っ人としては
物足りないものとなりました。
プライベートでは
笑顔を絶やさない
まじめで
愛された選手でした。
2000年 – 2008年
2019年
間違いなく新潟のヒーロー
アルビの黎明期
正ゴールキーパーとして
活躍。
丹精な顔立ちと
ひょうきんな性格で
新潟での人気は絶大でした。
プレイヤーとしても
機敏なシュートストップと
まねのできない強肩。
当時の反町監督は、
日本代表に呼ばれても
おかしくないと評しました。
明るい性格だけでなく
サポを大切にする振る舞いが、
絶大な人気をほこった
要因でもあると思います。
新潟を離れた後、
湘南、松本を経て
アルビレックスシンガポールへ
加入。
新潟のアルビファンを喜ばせました。
その後、新潟に復帰。
試合に出場することは
なかなか叶いませんでしたが、
最終戦、シーズンフル出場を
続けていた大谷との
アディショナルタイムでの
交代は伝説となりました。
その年を最後に引退となりました。
Wikipediaでの紹介はこちら
アルビレジェンドプレイヤー
スビードあり、
正確な高速クロスあり
で期待されましたが、
外国籍枠の関係もあり
出場は4試合にとどまりました。
それでも、出場した
数試合では光るものをみせ
試合に出れない中でも
サムエルサントスに期待する
声は聞こえました。
まじめな性格で
日本語にも積極的に
取り組んでいたようです。
スタメンで出続ければ
化けそうな予感はありましたが、
1年で契約満了となりました。