樹森監督の成績不振による
解任の後を継ぎ
シーズン途中から就任。
長年、クラブに携わり、
満を持しての登場で
期待は高まりましたが、
結果は最低のものとなりました。
なんと、監督交代後
未勝利という
不名誉な記録を
打ち立てました。
アルビ再建を託され、
就任会見では
男泣き。
周囲からの人望は
高かったのですが、
監督としての
能力を発揮することは
できませんでした。
そもそも
シーズン途中での
監督交代で
V字回復すること自体
難しいタスク。
J1監督未経験では
荷が重すぎたのかも
しれません。
選手の流出等
不運もあり、
未勝利ながらも
全て監督の責任とも
いえない
なんとも言えない結果と
なりました。
Wikipediaでの紹介はこちら
カテゴリー: 監督編
監督未経験ながらも
新潟の監督に
抜擢。
水戸時代から
新潟のサッカーを
見本にしていたこともあり、
監督としての手腕は未知数ながら
「新潟史上最高」を旗印に
大きな期待が寄せられました。
しかし結果を残せず、
シーズン途中での解任となりました。
高度なサッカー理論は
一部の選手から
支持を得ていたものの、
結果が伴わず、
新潟スタイル(ボール保持)と
縦への速い攻撃の
併用に苦しみました。
序盤に勝ち星が伸びなかったのは
監督の責任なのかどうか、
クラブの判断には疑問も残ります。
ただ、全責任を負う立場の監督としては、
選手のミスによる敗戦も
監督の責任とされるため、
解任はやむなしという
意見が 多く見られました。
戦術とは別の部分で、
トップとしてチームを
まとめきれなかったというのも
解任のひとつの理由となりました。
それでも、
後任の入江監督が
1勝も挙げられなかったこともあり、
「樹森監督が最後まで指揮を執っていれば
最下位という最悪の結果には
ならなかったのではないか」
(この年でJ2降格)
という声が最後には
多く聞かれました。
アルビのスタイルを
作るべく
前任のアルベルトから
バトンタッチ。
アルビのスタイルを
作り上げたアルベルトから
さらに勝てるチームを
作り上げました。
就任1年目で
J2制覇。
2年目、3年目と
J1で戦う中でも
美しいパスサッカーは
各地で称賛を受けました。
全員戦力の旗印の中
先発を固定しない戦い方も
特徴のひとつでした。
自分自身も鍛え上げる
非常にストイックな性格。
勉強熱心で
尊敬される監督でもありました。
スタイルと結果との
間で苦しみながらも
ルヴァンでは
初の決勝進出へチームを
導きました。
監督最終年の3年目は
最終戦まで
残留を決めることができません
でしたが、
監督としては高い評価を
集めました。
クラブは続投を
打診しましたが、
オファーを蹴って
FC東京の監督へ。
去り際は
非常に残念でした。
Wikipediaでの紹介はこちら
アルベルト・プッチ・オルトネダ
本場スペイン、バルセロナで
長く育成に携わっていたと
いう触れ込みで、
新潟に
ボールを大切にする
新しいスタイルを植え付けました。
自陣からボールを繋ぐスタイルは、
魅力あるサッカーとして
注目を集めましたが、
J1昇格が至上命令であった
当時のアルビでは
結果を残すことは出来ませんでした。
それでも、2年目は
J2降格後最高順位を記録。
クラブも続投の要請を表明しましたが、
FC東京への移籍が決まりました。
ただ、2年連続で後半に
失速したこともあり、
評価は別れました。
バルセロナ仕込のサッカーを
標榜するものの
監督としては、
新潟が初挑戦となりました。
和を大事にする監督で
チームをひとまとめにすることに
長けた監督でした。
Wikipediaでの紹介はこちら
アルベルト・プッチ・オルトネダ
本場スペイン、バルセロナで
長く育成に携わっていたと
いう触れ込みで、
新潟に
ボールを大切にする
新しいスタイルを植え付けました。
自陣からボールを繋ぐスタイルは、
魅力あるサッカーとして
注目を集めましたが、
J1昇格が至上命令であった
当時のアルビでは
結果を残すことは出来ませんでした。
それでも、2年目は
J2降格後最高順位を記録。
クラブも続投の要請を表明しましたが、
FC東京への移籍が決まりました。
ただ、2年連続で後半に
失速したこともあり、
評価は別れました。
バルセロナ仕込のサッカーを
標榜するものの
監督としては、
新潟が初挑戦となりました。
和を大事にする監督で
チームをひとまとめにすることに
長けた監督でした。
Wikipediaでの紹介はこちら
なかなか調子の上がらない
片渕アルビの後を継いで
シーズン途中
10試合目から指揮。
アルビレックス
シンガポールでは
十分な実績を残し
クラブからの
厚い信頼を得ていましたが、
結果は付いてきませんでした。
ここまで
守備に重きを置いていた
チームから攻撃に
重心を移動。
リーグでも
トップクラスの
得点力を誇る
チームに変容させました。
シーズン終盤に近づくにつれ
安定した強さを
発揮。
惜しまれながらの
退任となりました。
穏やかな語り口の中にも
厳しさを感じる監督でも
ありました。
ぶっきらぼうな印象ながら
ときおり見せる
笑顔が人気を呼びました。
2017年~2018年の
アルビレックスシンガポールで
達成した
2シーズンに渡る全冠制覇は
今後、伝説となることでしょう。
最終節、
退団が決まっていた
ここまで出番のなかった
キーパー野澤を
ロスタイムで出場させる
温情派でもありました。
吉田達磨監督、三浦監督、鈴木政一と
3年連続の監督解任劇となった新潟で
全てにおいてピンチヒッターと
なった男気あふれる監督。
2019年は早くから監督就任の
発表もあり
キャンプからチームを任されました。
ところが、チームは開幕から
なかなか波に乗れず、
9節が終わった時点で、
3勝3敗3分。
電撃解任となってしまいました。
守備の立て直しを
掲げるもなかなか失点が止まらず、
守備重視の戦術の為
攻撃力も低下。
最後は
守備重視、ロングボールを多用する
試合内容にも
サポからの不満が噴出。
残念な結果となりました。
サポを大切にする監督で、
サポーター席まで来て
サポートを頼む姿は
語り草となりました。
歴代監督の中でも
アルビ愛が一番ある監督でも
ありました。
若手の育成にも携わっていたこともあり
若い選手には
兄貴分にとして慕われていました。
不振に喘ぐ三浦監督の後を継いで
シーズン途中からアルビの監督に就任。
知名度は抜群でしたが、
監督としての能力は未知数。
むしろ日本では、G大阪での失敗もあって
評価は高くはありませんでした。
なかなかチームを立て直すことが出来ず
苦しみましたが、シーズン最後の残り6試合は
5勝1分けでフィニッシュ。
退任を惜しむ声も出ましたが、
就任後の成績は6勝12敗5分。
シーズン当初から監督をしていたとしても
残留争いにまきこまれた可能性は高かったです。
監督としては微妙な評価となってしまいました。
ただ、真面目な性格でサポーターを大切にする監督でした。
レオ・シルバ
ラファエル・シルバ
コルテースらが抜けたアルビを
立て直すべくJ3長野の監督続投のオファーを断って
アルビの監督に就任。
なかなか結果を出せず、10試合程度で
事実上の解任となってしまいました。
まだ監督としてのキャリアは浅く、
アルビの前はJ3の監督を1年のみ。
選手としての実績は素晴らしいし
現役時代はいろんなポジションも経験していて
もしかしたら監督としての素養は
あったのかもしれませんが、
アルビでは経験不足を露呈。
昇格以来14年間守り続けてきたJ1の座から
アルビを降格させた監督となってしまいました。
若手の育成や独自のサッカー理論で
高い評価を受ける監督ではありましたが、
新潟では、苦しいシーズンとなってしまいました。
結局最後は残り4試合を残しての解任。
成績は残せませんでした。
ただ、ある選手が話していたように
アルビのサッカーはがらりと変わりました。
アルビの監督をしていた時はまだ若かったので
理想とするサッカーと
プロサッカーチームとして結果を残すということの違い等
学んだことは大きかったのではないでしょうか。
監督としの力量としては、まだまだ未知な部分も
多かっただけに残念な解任劇となってしまいました。